当研究所所長・木下祐也の論文「系図系譜学の理論体系構築のための試論(8)――最高規範――」が、学術雑誌『系図系譜学論究』第1巻第7号に掲載されました。
論文概要
系図系譜研究は、本来独立した学問分野であるにもかかわらず、歴史学・史料学の一領域であるかのような誤解が古来定着し、伝統的系譜学者の歴史学・史料学への過度な依存という内部的要因と、歴史学者・史料学者による系図系譜研究への進出という外部的要因の2方向から独立性を侵害されてきた。その根本的原因は、伝統的系譜学のみならず、その依拠先である歴史学・史料学においてすら、理論体系書及び理論体系自体が存在しないことにある。それにより、過去の事実の研究なら歴史学という思い込みが生じ、さらに、理由付記・妥当性審査可能性の欠如、用語の精緻化不足、目的と手段の不適合、方法論の精緻化不足、学問分野の独自性主張手段の欠如、初心者教育・学習手段の不在等の多岐にわたる弊害を生じさせ、これらが悪循環として慢性化・固定化している。本稿は、これらの弊害を解消し系図系譜研究を独立した学問分野として確立するため、伝統的系譜学とは別に系図系譜学(Genealogical Science)を構築し、その理論体系構築の根本的方針を定める最高規範を提示するものである。最高規範においては、客観的合理性に基づく事実・真理の解明という学問分野ないし調査研究実務に共通する根本規範を前提に、系図系譜学における事実を手続的正義に基づいて認定された学術的事実と定義し、審査可能性原則(論理主義・証拠主義・挙証主義・明示主義・理由付記義務・審査主義)、精緻化原則(厳密主義・一義明確主義・峻別主義・階層的論述主義)、反権威主義、平等主義及び理論体系構築・発展原則(学際的統合主義・演繹帰納交互構築主義・構築過程開示主義・理論発展主義)を採用した。また、理論体系の配列原理としてパンデクテン方式と手続進行順配列方式を併用し、最高規範は目的論・対象論及び分野体系論とともに系図系譜学における憲法典を構成するものと位置づけた。
論文情報
- タイトル: 系図系譜学の理論体系構築のための試論(8)――最高規範――
- 著者: 木下祐也
- 掲載誌: 『系図系譜学論究』第1巻第8号
- 発行: 家系研究協議会
- DOI: https://doi.org/10.69352/keiron.1.8_1
論文へのアクセス
論文全文は以下のリンクから無料でご覧いただけます。
【研究論文】
系図系譜学の理論体系構築のための試論(8)
――最高規範――
木下 祐也
| 要 旨
系図系譜研究は、本来独立した学問分野であるにもかかわらず、歴史学・史料学の一領域であるかのような誤解が古来定着し、伝統的系譜学者の歴史学・史料学への過度な依存という内部的要因と、歴史学者・史料学者による系図系譜研究への進出という外部的要因の2方向から独立性を侵害されてきた。その根本的原因は、伝統的系譜学のみならず、その依拠先である歴史学・史料学においてすら、理論体系書及び理論体系自体が存在しないことにある。それにより、過去の事実の研究なら歴史学という思い込みが生じ、さらに、理由付記・妥当性審査可能性の欠如、用語の精緻化不足、目的と手段の不適合、方法論の精緻化不足、学問分野の独自性主張手段の欠如、初心者教育・学習手段の不在等の多岐にわたる弊害を生じさせ、これらが悪循環として慢性化・固定化している。本稿は、これらの弊害を解消し系図系譜研究を独立した学問分野として確立するため、伝統的系譜学とは別に系図系譜学(Genealogical Science)を構築し、その理論体系構築の根本的方針を定める最高規範を提示するものである。最高規範においては、客観的合理性に基づく事実・真理の解明という学問分野ないし調査研究実務に共通する根本規範を前提に、系図系譜学における事実を手続的正義に基づいて認定された学術的事実と定義し、審査可能性原則(論理主義・証拠主義・挙証主義・明示主義・理由付記義務・審査主義)、精緻化原則(厳密主義・一義明確主義・峻別主義・階層的論述主義)、反権威主義、平等主義及び理論体系構築・発展原則(学際的統合主義・演繹帰納交互構築主義・構築過程開示主義・理論発展主義)を採用した。また、理論体系の配列原理としてパンデクテン方式と手続進行順配列方式を併用し、最高規範は目的論・対象論及び分野体系論とともに系図系譜学における憲法典を構成するものと位置づけた。 |
キーワード: 系図、系譜、系図系譜学、最高規範、理論体系、伝統的系譜学、手続的正義、審査可能性原則、精緻化原則、学際的統合主義、根本規範、学問論、憲法、学問的事実
目 次
ア 「歴史学・史料学の一領域」であるかのような誤解の発生と定着 9
①過去の事実を研究するのは歴史学という短絡的な思い込み 10
②歴史学の手段としての事実認定をする学問という思い込み 11
⑥歴史学概説書における「補助学」という紛らわしい表現での紹介 13
(イ)内部問題:伝統的系譜学者の歴史学・史料学への過度依存 15
(ウ)理論体系書の不存在による理論体系自体の不存在の推認 17
(ウ)目的と手段の不適合(目的論関係、方法論通則序論関係) 20
(オ)史料関連概念の系図譜への不適合(論証技術論関係) 20
(カ)記述に特化した思考様式と理論構築の不適合(用語論、方法論関係) 21
(ア)学問分野の独自性・固有性の主張手段の欠如(学問定位論関係) 21
(イ)手つかずの領域の把握とマッピングの不全(分野体系論及び研究環境構築関係) 21
(エ)用語の不統一による意思疎通不全(用語論関係、対象論関係) 22
(オ)審査方法・評価基準の不存在と外部の評価基準への依存・他律志向(方法論関係) 22
(イ)依存先である歴史学・史料学の入門書・方法論書の問題 24
(イ)他の学問分野の研究者の参入・共同研究に関する効果 27
※論理的には、本稿はシリーズ論文の最初に発表すべき内容であるが、執筆上の都合から今回の発表となった。
また、先に発表したシリーズ論文内で「序文」と記載していたが、内容とタイトルの字面の齟齬が大きいため、「最高規範」に改める。
本書は、系図系譜研究(Scholary Genealogy)のうち、伝統的系譜学(Traditional Genealogy)を抜本的に見直し、自立した独立の学際的学問分野として系図系譜学(Genealogical Science)を構築するための理論体系書である(いずれの学問分野名についても用語論で詳述する)。
1 理論体系構築の必要性
(1)問題の所在
系譜学あるいは系図学などと呼ばれる学問分野は、古今東西絶えず調査研究され続けており、日本では系譜学会や家系研究協議会、日本家系図学会など、海外においてもNational Genealogical Societyなど多数の団体が組織され、相当数の個別研究が蓄積されている。
しかし、この学問分野は、本来的には独立した学問分野であるにもかかわらず、古来、歴史学・史料学の一分野であるかのように捉える者が多く、実際に歴史学・史料学の手法を手本とし、これに強く依存しているため、学問分野としての独立性が脅かされてきた。
そこで、なぜこの学問分野の独立性が脅かされてきたのか、さらに、この学問分野が明確に独立した学問分野としての立場を確立するためには、どうすべきかが問題となる。
なお、本書でいう「独立」とは、独立国家にいう独立と同じ、すなわち、自立や自律に類する語義である。本書の立場は、あくまでこの学問分野は本来的には独立した学問分野であって、歴史学や史料学から独立するというものではなく、歴史学・史料学とこの学問分野の関係は、あくまで別の学問分野であるにもかかわらず、後者が前者を手本として依存しているに過ぎないというものである。
(2)理論及び理論体系などの語義
今後の議論の前提となる「理論」や「理論体系」などの語義が学問分野によって異なるようであるから、ここでまず、系図系譜学の議論の前提となる概念である「理論」及び「理論体系」の語義を明らかにする。
系図系譜学にいう「理論」とは、個別事例における研究手法及び研究成果ではなく、学問分野の目的・対象・用語・方法その他の下位分野として、一般化又は抽象化され論理的に整序された一連の命題・規則・知見をいう。要するに、法学にいう理論と同様の意味である。
「目的論」「対象論」「方法論」等の「○○論」は、法学における「目的論」「要件事実論」「証拠論」等と同様、「○○を論じる分野・議論」という命名規則に従い、「○○を論じる下位分野」を意味する。
系図系譜学にいう「方法論」とは、学問目的を達成するために用いられる実践的研究手法・調査手順・評価基準の体系を一般化・抽象化・記号化して汎用的かつ体系的に論じた理論をいう。すなわち、「何をどのような手順・手法で分析・調査すべきか」を規定する技術的・実践的規則及び知見の体系を指す。逆に、個別具体的な事例の解明を目的とする研究において事実上実践されたに過ぎず、抽象化・一般化して論じられていないもの、あるいは若干は抽象化・一般化して論じた部分があるとしても細部を実践上の説明に委ねたようなものは、方法論ではない。また、「用語論」も、学術用語の定義を整備する理論であって、手順・手法ではないため、方法論には含まれない。
そして、系図系譜学にいう「理論体系」とは、目的論・対象論・用語論・方法論・分野体系論その他当該学問分野を構成する相当数の理論が相互に演繹的に連関するシステムの総体をいう。要するに、「何を、何のために、どう定義し、どう体系化され、どのような手段で研究する学問か」を定める理論の総体をいう。
その上で、「理論書」とは、ある学問分野の理論のうち一つ以上を論じているものの、論じられた各理論の相互関係が定義されていない書籍をいう。
「理論体系書」とは、ある学問分野の理論体系を構成する目的論・対象論・用語論・意義論・方法論その他の理論の概ね全体にわたって体系的かつ抽象的・一般的に相当程度に詳しく論じられ、各理論相互の演繹的連関性が明示された書籍をいう。理論を単に並置するにとどまる理論書とは、この相互の連関性の明示の有無において区別される。また、相当程度の議論を欠き、結論的な見解を述べるに過ぎないようなものは概説書にとどまる。一部の理論のみ詳論され、残りは概説にとどまるものは詳論された理論についての理論書である。なお、対話・講義形式の書籍は、そのような形式が余事記載や脱線により体系的な整理を損なっているのであれば、論理性の要件を満たさない。他方、コラム欄は本論とは明確に別枠で記載されるものであるから、論理性の要件に反しない。
他の学問分野では、目的論・対象論等を含めて一緒くたにして「方法論」と呼称したり、方法論とその他の理論とで区分したり、法則のみを指して「理論」と称することもあるようだが、系図系譜学においては、理論は上記のとおりのものであって、法則ではない。また、方法論は、目的論・対象論・用語論等に並ぶ理論の一分野であるから、これらを混同してはならないし、方法論以外の各理論のみを指して「理論」と総称してはならない。そのため、「系図系譜学の方法論」といった場合、それが意味する範囲は方法論通則以下に定める方法論のみであり、目的論・対象論・用語論その他の理論は含まれない。
| 理論 | 個別事例における研究手法及び研究成果ではなく、学問分野の目的・対象・用語・方法その他の基盤又は下位分野として、一般化又は抽象化された一連の命題・規則・知見 |
| ○○論 | ○○を論じる下位分野 |
| 方法論 | 学問目的を達成するために用いられる実践的研究手法・調査手順・評価基準の体系を一般化・抽象化・記号化して汎用的かつ体系的に論じた理論 |
| 用語論 | 学術用語の定義を整備する理論 |
| 理論体系 | 目的論・対象論・用語論・方法論その他当該学問分野を構成する相当数の理論が相互に演繹的に連関するシステムの総体 |
| 理論書 | ある学問分野の目的論・対象論・用語論・意義論・方法論その他の理論のうち一つ以上を論じているものの、論じられた各理論の相互関係が定義されていない書籍 |
| 理論体系書 | ある学問分野の理論体系を構成する目的論・対象論・用語論・意義論・方法論その他の理論の概ね全体にわたって体系的かつ抽象的・一般的に相当程度に詳しく論じられ、各理論相互の演繹的連関性が明示された書籍 |
(3)伝統的系譜学における理論体系の不存在
ア 問題の所在
伝統的系譜学とはどのような学問分野なのかに関して、どのような理論体系が構築されてきたのか否かが問題となる。
イ 事実
伝統的系譜学において、理論体系構築の必要性はかなり昔から指摘されてきたし、構築の意欲もときたま表明・指摘されてきたものの、伝統的系譜学の目的論・方法論その他の理論を詳細に論じる理論体系書は出版されてこなかった。
例えば、日本の系譜学者の中で最も著名な人物である太田亮や丹羽基二、丸山浩一ですら、多数の著書があるにもかかわらず、理論体系書はもちろん理論書すら出版していない。出版されてきたのは、基本的には事典類と、これから先祖調査をしようとする初心者・趣味人向けのノウハウを記した実用書ばかりである。太田亮が提唱した純正系譜学(氏名の変遷と諸事象の研究及び家系・血統に基づく社会変遷の研究)と応用系譜学(歴史学研究に必要な氏族研究、各家系の系図研究)の概念も、たった1本の論文に7行書かれているだけであり、概説したということはできても、理論を論じたとは到底いうことができない。佐伯有清も研究篇などを含む『新撰姓氏録の研究』シリーズを著したものの、実践された分析内容が書かれているだけで、方法論は書かれていない。これらに関し、丸山浩一は、「太田説を方法論的に考察したのは神道史研究の宮地直一で、「系譜学の建設」(『系譜と伝記』収録)という論文を発表している。」「今日においても有効な方法論の展開である」と述べているが、同論文の記載内容は、概説にとどまり、方法論的考察とは到底いえない。「系図学研究」というページを開設している岸本良信についても、同ページの記載内容を見る限り、単なる先祖調査ノウハウの羅列を「系図学研究」と称しているに過ぎない。日本の主要な伝統的系譜学者である丸山浩一がこの程度の貧弱なものでも方法論的考察たりえると評していること自体が、伝統的系譜学における理論についての意識が極めて貧弱であることを示しているというべきである。
近藤安太郎の『系図研究の基礎知識』も書名どおり事典的な書籍であり、理論面については概説に過ぎない。宝賀寿男、義江明子、青山幹哉、鈴木正信らも理論的研究は一応あるものの、一分野のいくつかの論点について概説レベルの論考(ないし書籍の冒頭部分)があるだけで、論証を重ねて理論的結論に至ったものではない。
青山幹哉は、「中世系図学構築のための基礎的研究」「中世系図学構築の試み」「史料学としての系図学入門」の3論文で「中世系図学」の構築を試みているが、用語定義はあくまで論文の議論の前提として提示したに過ぎず、採否について様々な角度から検討したものではないから用語論とはいえず、基本的には中世系図譜の分類論・機能論を述べたものであり、「出自の論理」や「相伝の論理」というセクションは、文化人類学用語を借用した「出自」概念を個別事例に当てはめた分析に対し、理論めいた名前を付けたに過ぎない。そのため、分類論・機能論の理論書には該当しうるが、理論体系書ではない。
佐々木哲は、『系譜伝承論』の「序論 歴史学方法論」において、伝統的系譜学の理論体系の構築ではなく、歴史学の従来の系図譜についての史料批判のあり方への批判と、その代替となる認識論・方法論の提言を多少述べており、また『佐々木六角氏の系譜――系譜学の試み』の「系譜学の方法」では、上記「序論 歴史学方法論」を敷衍したものである上、さらに書名及び「系譜学の方法」章に「系譜学」の文字を含むにもかかわらず系譜学を実証歴史学と位置づけた上で、自身の専門を歴史学・哲学としている。しかも、その書きぶりは、体系的整理がなされているというのが困難な程度に余事記載や実例分析が混入しており、方法論的主張と個別事例の考証が渾然一体となった散文的エッセイというべきものであるため、両書は、歴史学内の系図譜研究の方法論について述べた書籍ではあるが、理論書とは断言しがたい。
世界的にも、理論書又はそれに近い書籍として評価し得るものですら極めて少なく、1788年のJohann Christoph Gattererによる『Abriß der Genealogie』と1898年のOttokar Lorenzによる『Lehrbuch der gesamten wissenschaftlichen Genealogie』、2017年の仓修良『譜牒学通論』の3冊しかないようである。
しかし、Gattererは、「系譜学は固有の学問ではなく歴史の一部であり、歴史学研究に資するものである」という立場を明言した上で、系図を7種に分類し、系図の作成手順及び貴族証明の手続を実例解説し、証拠の信頼性評価基準や、命題と証拠との対応関係をわかりやすく示すための記載方法を展開している。もっとも、これらは、いずれも18世紀ドイツにおける実務に特化した手続の解説等の提示にとどまる実務書であって、独立した学問分野としての目的論・対象論・方法論等を論じたものではなく、理論書とはいえない。
また、Lorenzは、自書をGatterer以来100年ぶりの系譜学書と位置づけた上で、生物学的知見に基づいて系譜学を独立した学問分野としての系譜学(Genealogie als Wissenschaft)を構築するため、学問目的・学問対象・重要用語を論証なしに簡単に定義するとともに、系図の様式分類、作成手順・記載技法、証拠評価技法、親等計算法、関連法制などの実務的な実例解説を行った上で、系譜学が歴史学・国家学・社会学・統計学・自然科学等にいかに役立つかという意義論、祖先数論(世代を遡るごとに理論上の祖先数が幾何級数的に増加するにもかかわらず近親婚により実数がこれを下回るという現象についての数理的考察)を論じ、生物学の知見に基づく系図の記載内容の理論的考察や系図の記載内容に基づいて遺伝決定論・退化論を検証する遺伝論を展開した。そのため、一応独立した学問分野として学問目的等の理論を論じたことから、Gattererのものとは性格的に一線を画する。しかし、学問目的から演繹的に体系を構築するという発想は持たず、意義論・系図論・遺伝論の各理論が理論的連関を持たないまま並置されている以上、理論体系書ではなく理論書にとどまる。
また、中国においても、仓修良は、谱牒学(中国における系譜学)の学史や編纂理論を論じたものの、系譜学を独立した学問分野として捉えず、歴史学の一分野と明言しており、学問の目的論・対象論等を演繹的に体系構築してはいないため、歴史学内の系図譜研究についての理論書にとどまる。
そのほか、日本において、雄山閣編輯部編『系譜と紋章の研究法』(1939年)という「研究法」と題する書籍が存在するものの、系譜学を独立した学問分野として体系的に論じたものでも方法論を論じたものでもなく、同書は複数の著者による系図・紋章を歴史研究の史料として扱う個別論考の集成にとどまり、理論書とはいえない。最近のものでは、Elizabeth Shown Millsによる『Evidence Explained』やVal D Greenwoodによる『The Researcher’s Guide to American Genealogy』、Board for Certification of GenealogistsによるGenealogical Proof Standard(GPS)を中核とした『Genealogy Standards』などの書籍が存在するものの、いずれも資料分析・証拠評価といった先祖調査実務や相続人調査実務の手法に焦点を当てたものであって、学問分野全体を体系的に論じるものではない。
ウ 小括
したがって、伝統的系譜学において理論体系は構築されてこなかったことが認められる。
(4)歴史学・史料学との混同・依存・流入
ア 「歴史学・史料学の一領域」であるかのような誤解の発生と定着
(ア)問題の所在
国内外を問わず、系図系譜研究が歴史学や史料学の一分野であるという誤解が生じ、定着していることが認められる。
実際、日本の系図系譜研究をする者が最も近いと考える学問分野は日本史学や史料学であり、系図系譜研究を日本史学の一部だと思い込でいる者も少なくなく、家系研究協議会や日本家系図学会の会誌で発表される論考のほぼすべては系図譜を歴史学専用用語である「史料」として取り扱っている。海外においても、Gattererや仓修良などは系図系譜研究を歴史学の一領域として位置づけている。
そこで、なぜ系図学・系譜学が歴史学・史料学の一分野であるという誤解(以下「本件誤解」という。)が生じ、定着したのかが問題となる。
(イ)本件誤解の発生要因
本件誤解の発生要因としては、下記のものが考えられる。
①過去の事実を研究するのは歴史学という短絡的な思い込み
多くの人は「過去のことを研究するなら歴史学」という短絡的なイメージを持っており、「系図」「系譜」「先祖調査」と聞けば「大昔のこと」「歴史」、次いで「歴史学」を連想する。この「歴史」という認識の実態は、単なる「大昔のこと」というような漠然としたイメージに過ぎない。
しかし、過去の事実を研究対象とする学問分野は、歴史学に限られない。政治学は、過去の政治現象の類型・傾向等を分析する学問であって、過去の事実を研究対象とする。人文地理学は、過去の地域の変容を分析することもあるし、統計学は、過去のデータを分析対象とする。さらに、訴訟実務は、個別の訴訟において過去の事実の存否・因果関係を認定する知的活動であって、過去の事実を証拠を分析して確定するし、経済分析は、過去の経済現象を分析対象とする。これらの学問分野及び実務分野は、いずれも過去の事実を分析の対象とするものであるが、いずれも歴史学の下位分野とはみなされない。
「過去の事実を学問対象とする学問分野は歴史学である」と仮定すれば、上記の各分野はすべて歴史学の下位分野ということになるが、そのような帰結を採用する者はおらず、それぞれが歴史学とは独立した学問分野ないし実務分野であることに異論は生じない。
複数の学問分野及び実務分野が、広い意味で過去の事実を分析対象とするということで、抽象的に符合するとしても、学問分野及び実務分野ごとにそれぞれ主たる対象が異なるのみならず、目的や方法も異なるためにそれぞれ別個の学問分野及び実務分野として扱われているのだから、医学と生物学がともに人体を対象とし、気象学と海洋学がともに大気・海洋現象を扱い、心理学と神経科学がともに認知現象を扱っているのと同様に、断じて系図系譜研究と歴史学・史料学が同一であることを意味せず、また一方が他方の下位分野であることも意味しない。
歴史学の主要な学問対象には過去の政治現象があるところ、それ自体は政治学と一致するが、歴史学が因果関係・影響関係等の意義づけを学問目的とするのに対し、類型・傾向等を改名することが目的であり、それぞれ方法も異なるからこそ、両者は別個の学問として扱われている。
別の側面から言えば、いずれの学問対象も特定の学問分野に専属するものではない。もし専属するとすれば、DNAは、遺伝学、遺伝人類学、医学などが現実に対象としているのに、いずれか1つが排他的にDNA研究を独占するということになり、現実に反する。
したがって、歴史学は過去の事実の一部を学問対象とする学問分野の一つに過ぎないのであって、断じて過去の事実全般を歴史学が独占的に学問対象としているわけではなく、別の言い方をすれば、過去の事実は歴史学に専属する学問対象ではないことは明らかである。
そのため、日本の伝統的系譜学者の中には、日本の系図系譜研究のほとんどが日本の系図・系譜をテーマにしているという事実のみに着目して「日本史系の学問だ」とみなす者もいる。しかし、伝統的系譜学は、歴史学的アプローチで研究しているわけではない。家系研究協議会や日本家系図学会もその会則において、少なくとも研究方法を「日本」の「歴史学」のアプローチに限定するような文言は存在しておらず、海外あるいは現代の系図系譜に関する研究を排除してはいないし、姓氏(苗字)の研究については歴史学的アプローチのみならず言語学的アプローチや人文地理学的アプローチも含む人名学の分野に属する研究分野であるのだから、表層的なイメージで思い込んでいるものと解される。特に後者は、「家紋及び地名・遺跡に関する学術的調査研究を広く 総合的に行う」としているので、紋章学、人文地理学及び考古学のアプローチによる研究はもちろん、多様なアプローチによる総合的な研究を対象としていると解するのが相当である。Lorenzやそれを参照した宮地直一も生物学的アプローチ・遺伝学的アプローチを提唱していた。「過去の事実を研究するのは歴史学」という主張は、「人体を研究するのは医学」といって生物学のことを考慮外に置くのと同様に、過去の事実を分析対象とする多数の学問分野・実務分野が並立しているという基本的事実を看過した視野狭窄ないし浅慮による愚説というべきである。
②歴史学の手段としての事実認定をする学問という思い込み
歴史学は、過去の事実間の因果関係や影響関係等について意義を付与することを学問目的とする学問分野であり、その前提として過去の事実を把握する必要がある。他方、系図系譜研究は、系図譜に関する過去の事実を認定する学問分野であって、系図譜に関する過去の事実について抽象的に符合する。そのため、系図系譜研究による事実認定を歴史学が歴史学が目的達成のために利用する手段的作業と捉え、系図系譜研究が歴史学の一分野であるとという誤認が生じてきたといえる。
しかし、ある学問Aの研究成果が学問Bにおいて目的達成のための手段として利用されうるという関係は、AがBに従属する下位分野であることを何ら意味しない。ある学問の研究成果が他の学問における手段として利用されるという関係は、両学問の間に従属関係や包含関係が存在することを何ら意味せず、それぞれの学問が独自の学問目的を有する独立した学問分野であることと十分に両立する。
例えば、統計学が導出する分析手法は、経済学、社会学、医学、工学等の多数の学問分野において目的達成のための手段として利用されているが、統計学がこれらの下位分野であるとみなされることはない。同様に、生物学の知見は、医学が治療方針を決定するための前提として利用されうるが、生物学が医学の下位分野であるとみなされることもない。数学はその最たるものである。
そうすると、系図系譜研究が認定する事実が、歴史学研究における意義付与の素材として利用されることがあるとしても、それは、系図系譜研究の研究成果が歴史学にとって有用であったということまでしか意味しないから、伝統的系譜学を歴史学の一分野とみなす見解は、学問間における知見の利用関係を誤解したものというべきである。
③ベン図的思考・発想の欠如
①で述べた「過去の事実」と学問分野との関係をはじめ、目的論・対象論、用語論等で検討するとおり、何が該当し何が該当しないのか、あるいは重複して該当するのかという視点からの自己点検をしている様子がないことから、どうやら伝統的系譜学者ないし歴史学者・史料学者にはベン図的思考・発想が基本的に欠如しているようである。
そのために、①で述べたように複数の学問分野の客体として重複することがありえるとは考えられず、「系図」「系譜」から「歴史」を連想したら、「過去の事実」の切り分けによる学問対象の区別や目的・手段方法による区別ができず、「昔のことなら歴史、歴史なら歴史学」というように過去の事象を扱う学問分野は歴史学しかないと思い込んで、系図学・系譜学を「歴史学」へとカテゴライズしてしまう。
「系図」「系譜」について定義してみても、自己の定義が何を含み何を含まないかについて、ほとんど思い至らない。
また、事実でない記載のある系図譜や文書について、その作成と行使を区別できずに「仮冒」すなわち偽称と一括りにしたり、また事実誤認の可能性を軽視して、虚偽が書かれているとみなして「偽系図」とか「偽文書」と呼ぶ。
④研究資料の抽象的符合
系図や系譜を研究資料として歴史学研究に使用する歴史学者は多く、系図系譜研究者も古文書等を研究資料として使用することから、過去の事実を文書を用いて研究するという部分では歴史学と系図系譜研究は抽象的に符合する。過去の文書を分析・分類するという点で、史料学とも抽象的に符合する。
人体は医学や生物学が研究資料としていることから抽象的に符合するところも相当あるようだが、それをもって医学と生物学を同一の学問分野だとみなしたり、医学は生物学の一分野だとか従属的学問分野だとみなしたり、あるいは人体は医学専用の研究資料だと主張するのは常識に反する。
そうすると、A学とB学において研究資料が抽象的に符合するというだけで、A学とB学を同一の学問分野だとみなしたり、一方を他方の下位分野であるとみなしたり、あるいはある研究資料は特定の学問分野の専用物だとみなすような見解は、相当性を欠くというべきである。
過去の事実間の因果関係や影響関係についての意義付与を目的とする歴史学と、過去の文書を分類・分析する史料学と、A氏の出自はB氏か、より厳密にいえば、aとbは親子関係かを特定することや系図譜の様式を分類整理することが目的である系図系譜研究とは、目的、対象、方法いずれも異なる(学問定位論で詳述)。
にもかかわらず、これまで伝統的系譜学者や歴史学者・史料学者は目的、対象、方法について峻別できてこなかったのは、各学問分野についてのそれらを定義せず、上記のような抽象的な符合性しか捉えることができなかったためであると解される。
もちろん、伝統的系譜学者が史料批判のようなことをしてきたのであるから、意義付与まではしていないにしても、方法論の一部が具体的に符合するという反論が考えられるが、自然科学や経済学等が数学的な計算を行うことを以て同一の学問分野とみなされないのと同様、方法論の一部が具体的に符合するからといって目的や対象の異なるものを混同することが不当であることは明らかである。
⑤歴史学と系図系譜研究についての大雑把な理解
伝統的系譜学者において、歴史学では系図・系譜の学問上の価値が長年低く見られてきたことは常識となっていたことから、系図系譜研究と歴史学の間には大きな溝があることについては自覚はあったはずである。また、歴史学の学問目的は実質的には意義付与であり、系図系譜研究の出自解明等の実質的な研究目的とは異なることは、両者の論文のテーマ及び結論を観察すれば明らかである。そうであれば、別の学問分野だと考えてもおかしくないのに、そう考えようとはせずに、学問対象を広く過去の事実と捉えて、研究資料が抽象的に符合しているのだから歴史学の一分野に違いないと思い込み、大学に所属する歴史学者になんとか認められようと熱望している者も少なくなかった。
歴史学を意義付与の学問分野だとはっきり定義すれば、系図系譜研究がそのようなことをするものではないことは誰でもわかるのにもかかわらず、誰も定義できなかった。歴史学がどのような学問かがよくわかっていないからこそ、安易に「昔のことを調査研究するなら歴史学」と思い込んでいるし、歴史学者も歴史学がどのような学問分野かをはっきりさせられないでいるからこそ、いつまでもこの誤解が継続することになる。
⑥歴史学概説書における「補助学」という紛らわしい表現での紹介
歴史学の概説書では古来、系譜学は歴史学の補助学であるという紛らわしい表現で紹介されてきた。この「補助学」という表現は、字面から、まるで歴史学に従属するサブ領域であるかのような印象を与える。実際、これを読んだ読者には、そのような誤解もなされてきたようである(用語論参照)。
しかし、歴史学の概説書では、「歴史学の補助学」には自然科学も含むとも説明されており、自然科学が歴史学の一分野でないことは明らかであるから、補助学とは、歴史学研究をする際に知見を利用・参照することになる外部の学問分野という意味である。
そうすると、系譜学が歴史学に従属する学問分野であるという意味では全くなく、系譜学は歴史学者に頻繁に利用・参照されうる学問分野として常に挙げられているというだけである。
この点につき、樺山紘一責任編集『歴史学事典6 歴史学の方法』弘文堂(1998年)xvii頁が「連携」という項目においても、統計学、天文学、法学、政治学、生物学などという明らかに歴史学とは別個の学問分野とともに系譜学、古文書学、史料学を並記しているのであり、これに鑑みれば、歴史学者がこれらを歴史学から独立した学問である位置づけていることは明らかであるから、「系譜学・系図学は歴史学の補助学であり、歴史学に従属する、歴史学ありきの学問分野だから歴史学の一領域である」などという見解は、歴史学における定義上、誤りである。
⑦氏族史・一族史の紛らわしさ
氏族史や一族史とは、特定の氏族や一族について歴代祭祀主宰者を軸として、時系列的に出来事をまとめた研究をいう。いわゆる「〇〇氏三代」「〇〇一族」といった書名の書籍で出版されていることが多い。氏族史や一族史の多くは、歴史学者によって執筆され、歴史学研究として刊行・分類・流通されている。そのため、読者は、その内容を吟味して歴史学に該当するか否かを判断するのではなく、執筆者が歴史学者であるという人的属性のみに基づいて、歴史学の成果物と捉えつつ、系図譜が掲載され、歴代祭祀主宰者に関する記述に付随して、その親族の構成や動向に関する情報も記載される点から系図系譜研究でもあると捉えて、この2種類の捉え方を合成した結果、系図系譜研究は歴史学者がするものだと誤解する。
ある著作の内容がどの学問分野の研究に該当するか否かは、当該著作の実質的内容によって決せられるべきものであり、執筆者の所属学問分野という人的属性によって決せられるものではない。執筆者が歴史学者であることは、その者が業として歴史学の職位を有することを示すにとどまり、当該執筆者の著作が必ずしも歴史学の研究成果であることを何ら意味しない。そうでなければ、歴史学者である者が出版した単なる旅行記も歴史学の成果ということになり、背理である。
氏族史や一族史についてみると、その内容は、基本的に時系列的な記述にとどまり、各出来事相互の因果関係や後世への影響関係についての意義付与は必ずしもなされない。
歴史学を過去の事実間の因果関係や影響関係についての意義付与を目的とする学問であるとすると、意義付与を伴わない氏族史・一族史は、歴史学の要件を実質的に満たしておらず、むしろ、歴代祭祀主宰者を中心とした親族構成情報を言語によって表示する書面、すなわち系譜に極めて近いものといえる。そして、著者が業として歴史学研究を行う者であったとしても、系図系譜研究をしてはならないものではないし、むしろ隣接領域だからといって安易に専門外の系図系譜研究に手を出しているという批判もある。
したがって、著作がいずれの学問分野に属するかは実質的内容によって決せられるべきものであるから、系図系譜研究が歴史学の一分野であることを意味しないが、氏族史・一族史の実質的内容と執筆者の人的属性とを合わさって系図系譜研究は歴史学者がするものだとの誤解が生じている。
イ 2方向からの独立性侵害
(ア)問題の所在
理論体系が存在しないところに、アで述べた誤解が相まって、伝統的系譜学は、歴史学・史料学の用語や方法に依存するに至ったものと考えられる。そこで、この依存が、伝統的系譜学の学問としての独立性にどのような影響を及ぼしたのかが問題となる。
(イ)内部問題:伝統的系譜学者の歴史学・史料学への過度依存
アのような誤解をした歴史好きが系図系譜研究を始めるケースが多く、系図系譜研究に理論体系がなく、「史料」や「史実」などの歴史学用語を系図系譜研究において安直に使用することが一般化していることから、歴史学・史料学の用語や方法を模倣していると認められる。
さらに、伝統的系譜学は大学に専攻がほとんど置かれず在野の学問分野であることから、多くの大学に学部学科が設置されている歴史学に対して権威を感じることにより、歴史学中心主義的傾向が生じたり、アカデミックな正統性を得ようとして歴史学に寄生してきたところもあると考えられる。
そこまでの意識がなくとも、元来歴史好きであるがために歴史研究に資することを目的とする者も少なくなく、意識的にも無意識にも歴史学の一分野であるかのように振る舞っている者が極めて多い。系譜学会会長を務めた太田亮ですら、系譜学者ではなく、歴史学者として紹介されている。
(ウ)外部問題:歴史学者・歴史愛好家による進出
歴史学者は、系図譜の価値を低く見積もりつつも(ア(イ)⑤)、結局は系図譜を利用して論文を発表する。それでも、おそらくほとんどの歴史学者や史料学者にとっては、伝統的系譜学は、歴史学・史料学とは別の学問分野ではあったはずである。しかし、一部の歴史学者や史料学者は、系図系譜研究に進出した。例えば、青山幹哉、網野善彦、義江明子、溝口睦子らは史料学として系図譜を題材とした研究を行なってきたし、それ以外にも氏族史や一族史が多くの歴史学者や歴史愛好家によって出版され、さらには峰岸純夫・入間田宣夫・白根靖大編『中世武家系図の史料論 上・下巻』高志書院(2007年)という歴史学者による伝統的系譜学の論文集も出版された。
この進出の動機は、歴史学の学問目的である意義付与のためのものとは限らない。むしろ、一般的な歴史学者や史料学者が本格的には研究していない領域を開拓してプレゼンスを得ようとしたか、アで述べたような誤解の下、伝統的系譜学者による(イ)のような態度や模倣も相まって、歴史学と系図系譜研究の学問目的の相違に無自覚であったり、過去の事実関係を扱う以上自分たちの専門であると安易に誤解したり、歴史学者が気軽に手を出していい領域であると考えたりした者もいたと推察される。
(エ)結論
以上のとおり、伝統的系譜学は、伝統的系譜学者自身による歴史学・史料学への過度な依存という内部的要因と、歴史学者・史料学者による系図系譜研究への進出という外部的要因という、2つの方向から独立性を侵害されるに至ったものと認められる。
ウ 依存先の歴史学・史料学にも理論体系が不存在
(ア)問題の所在
伝統的系譜学者のほとんどが事実上歴史学・史料学に依拠し手本としているところ、歴史学・史料学において理論体系が整備されているかが問題となる。
(イ)事実
伝統的系譜学者が依拠する歴史学及び史料学の「理論」ないし「方法」「研究法」の文言を書名とする書籍又はこれに類する書名の書籍(それらに挙げられた参考文献を含む。)を多数精査したところ、管見の限り、法学の理論書ないし理論体系書に比べて著しく数が少ない上、歴史学の概要と補助学の紹介に加えて、史料批判・解釈・叙述などの方法論のみを扱うか、方法論と称しつつ結局は個別研究をするにとどまり(あるいはこれに対象論の一部を付加したり、歴史研究をする目的を概説する程度)、理論体系書は存在しなかった。
しかも、比較的体系化された理論書と評価しうるものは、いずれも1940年代までに公刊された文献又はその改訂版・復刻版であって、近年の学者が自ら新たに執筆し公刊した理論書は見当たらない。書名からして理論書であるかのような書籍のうち最も最近の執筆によるものには池上俊一『歴史学の作法』東京大学出版会(2022年)があるが、その内容は心性史・社会史・政治史等のジャンル別の学史的な紹介に終始し、各章相互の演繹的連関性は明示されていない上、著者自身が「おわりに」において、自著を含む従来の書籍を「実証的研究方法の伝授、もっぱら技術的なもの」と評している。松沢裕作『歴史学はこう考える』筑摩書房(2024年)は書き方にフォーカスしているが、これも抽象論はあまりなく、実例解説中心である。遅塚忠躬『史学概論』東京大学出版会(2010年)は、各研究者の個人的目的を学問目的として論じたような目的論と対象論が述べられているのみである。
どうやら歴史学者は、「理論」と聞くと唯物史観のような法則を研究する学派への反動から、そもそも理論などなくていいといって理論研究を忌避して評価対象とせず、1940年代の概説書からほとんど発展させてこなかったようである。
史料学についての書籍もかなり探したが、小島道裕『「史料学」講義』吉川弘文館(2024年)しかなく、小島によれば、まともな史料学の体系書は同書が初であるという。しかし、同書は、入門者向けであるためか、実例解説中心であって、理論的説明は不十分である。
(ウ)理論体系書の不存在による理論体系自体の不存在の推認
学問分野が理論体系を確立している場合、最新の理論研究を整理し体系的に論じた書籍が時折公刊され、後進の学修に供され、また理論的発展に寄与するのが通常である。
しかし、世界中に数万人規模で学者が存在すると目される歴史学・史料学において「方法」「研究法」を掲げる主要文献を多数精査しても、理論体系書は一点も発見できず、近年の学者による新規の理論書すらほとんど存在しない。もちろん、網羅しきれておらず調査対象から漏れているものもあるとは思われるものの、十分な数の理論体系書が公刊されているなら検索すれば容易に発見できるはずであるから、検索してもヒットしない以上、もはや存在しないと推認するのが相当である。そうだとすると、歴史学及び史料学は、長期間にわたって学界全体において理論書ないし理論体系書を公刊すること自体に関心がない常況にあり、引いては当該学問分野の理論体系自体が現に確立されていないことを推認させるものというべきである。
なお、用語論に関して、歴史学では、定義がなくても差し支えないという態度を堂々と表明する者もいる。岩村忍は、「歴史とは何か」という根本的な問いに対して、「十数語か数十語で歴史の定義ができるぐらいならば、「歴史とは何か」というような疑問を提出しなくてもすむ。それに答えるために、論文や著書を書く必要もない。元来、定義とか概念規定とかいうものは、あってもなくてもよいもので、そうこだわる必要はない。(中略)歴史の定義などはなくても、すこしもさしつかえはない。(中略)定義のできないものは学問ではないというのなら、歴史は学問である必要はすこしもない。歴史の定義はできない。」と言い切り、歴史学の中核中の中核的概念の定義を不要と断言している。これは、単に理論の一つである用語論研究について否定するのみならず、自らが認識・洞察・抽象化・言語化することができなかったことを棚に上げて学術研究の基礎としての定義策定を根本から否定する暴論であり、学者として致命的な勘違いをしたものと評せざるをえない。これが高名な歴史学者の主張であるということは、歴史学においては理論的研究が軽視されていることを示唆する。
(エ)結論
したがって、伝統的系譜学者が事実上依拠し手本としてきた歴史学・史料学それ自体において、理論体系書は存在せず、理論体系自体が未確立の状態にあると認めるのが相当である。
(5)諸問題の顕現と悪循環の固定化
ア 問題の所在
伝統的系譜学に理論体系が存在せず、歴史学・史料学に依存したことにより、どのような弊害が生じたかが問題となる。
イ 研究の質・論述に関する弊害
(ア)妥当性審査可能性の不足(方法論通則関係)
系図系譜学において、「審査」とは、研究論文等における著者の主張立証の妥当性について、その論理性及び著者によって提示された証拠及び提示されていない証拠を吟味し判定することをいう(2(3)エ(イ)参照。)。
系図系譜研究をする者には、学者や先祖調査業者のみならず、単発的な自家先祖調査者も含まれ、彼らの論文や書籍は各地の図書館に収蔵されているところ、論文や書籍における各主張に対応する証拠の情報が主要なものしか書かれておらず、参照頁までの詳細な出典情報が記載されていることはかなり少ない。著者自身が明らかに見聞していないはずの記述は、必ず何かを参照したはずであるが、そのほとんどに出典がなく、あっても参照頁のない主要な参考文献のリストがあるだけというものがほとんどであり、タイトルしか書かれていないものも珍しくない。
論文・研究書については、冒頭では立証命題を提示せずに「〇〇について考察したい」などと漠然とテーマや意欲を述べる程度であり、判断基準も十分には言語化されないまま事実が羅列され、セクション分けの基準が論理的基準でなく、どういう論理構造で論証が進んでいるのかが明らかでないまま小括や結論に至り、結論を読んだ後に遡れば論理構造を把握できるケースもある、という常況にある。
さらに、先行研究を審査しようとせず、無批判に受け売りするケースも少なくない。郷土史や高名な学者による論文であっても、事実誤認や検討不足など誤っている可能性は否定できない。そのため、できる限り根拠に遡って妥当性を審査することが研究上も後続研究者の責任としても必要である。そうしなければ、誤謬が再生産され、事実でないことが多数の後続研究者によって承認されたという空虚な事実によって事実視されることになり、甚大な悪影響を及ぼすことになる(バタフライ効果)。にもかかわらず、先行研究を無批判に踏襲し、「○○によれば、」と書いておけば、それだけで立証できたもの勘違いする者が自家先祖調査者や郷土史家を中心に後を絶たないようてある。その結果、大して根拠のないまま提示された印象論が独り歩きして確定的事実化することもありえる。
それらの原因は、研究活動において頻繁に参照することになる、推認構造論が著しく未発達な郷土史や氏族研究などの歴史学の論文を模倣しているからであると推察される。
(イ)用語の精緻化不足(用語論関係)
伝統的系譜学が手本とする歴史学・史料学においては、用語集や用語辞典はいくつも出版されているものの、用語の定義がいい加減で、用語選択にも統一性を欠いている(用語論、対象論を参照)。
例えば、系図学・系譜学の中核中の中核の概念である「系譜」や「系図」の語義すら厳密に定義されておらず、多義的に用いられ、意味確定は文脈に依存する。伝統的系譜学独自の用語辞典は存在せず、基本的に、字面や文脈から意味を感得して模倣することが慣行となっており、しかも論者によって、というより論者の気分次第で統一されず、同義語過多や語義過多の常況にある(対象論及び用語論で詳述)。
伝統的系譜学者が強く依存する歴史学には用語辞典はいくつもあるものの、そこに書かれているのは、大抵の場合は、沿革や事例等の解説(記述的説明)であって定義ではない。これについて、増田四郎は、歴史学で用いられる諸概念(「封建的」など)が学者によってまちまちの内容で用いられていることを指摘し、それらが「不正確なままに濫用し、誤解し、また鵜のみにし」て用いられがちであり、「概念の混乱裡にある」と述べ、概念の混乱と曖昧な使用が蔓延する歴史学界の現状を批判している。
そもそも、定義とは、簡単にいえば、目の前のものがそれに該当するか否かの判断基準となるものであるが(定義の要件論について用語論参照。)、伝統的系譜学ないしそれが依拠する歴史学においては、そうではなく、物事がどういった傾向のあるものかとか、どういう経緯・沿革を辿ってきたものかとかいう記述的説明を「〜とは、〜という。」といった定義構文に当てはめたもののことを「定義」と考えられているようである(用語論を参照)。そのために過度広汎あるいは過小包摂などの瑕疵があり、文芸的表現を重用する学風も相まっておよそ判断基準たり得ないような不可解・不合理なものになる。
定義付けがいい加減であるということは、判断基準をまともに構築できる能力がないということであり、そうであれば、定義付けのみならず事実認定における判断基準もいい加減であって、それに基づいて導出される結論も信用するに値しないということになる。すなわち、いかに多くの研究が蓄積されたところで、それを構成する用語の定義が不合理・不明瞭・大雑把なものであれば、砂上の楼閣である。
そうすると、歴史学は学問の根幹に関わる用語ですら、学者間で厳密な定義を共有することなく、なんとなく先行研究から感得した語義あるいは日常語の語義を用いて議論を進めるという点でおよそ「精緻さ」という概念が全く適さず、砂上の楼閣そのものであるといえる。これは、一般的な学問が志向する精緻化に反するものであり、学界を挙げて学術的に極めて不誠実な態度を醸成させてきたといわざるをえない。論者によって語義の示す範囲の誤差が大きいと、書き方次第では誤解を生じかねないし、精緻な議論を致命的に阻害する。
そして、伝統的系譜学は、そのような歴史学・史料学の、曖昧で文脈次第なご都合主義・場当たり主義に基づく用語運用を模倣したものであり、学問上の意思疎通に困難が生じている。
(ウ)目的と手段の不適合(目的論関係、方法論通則序論関係)
目的とそれを実現するために採用した手段が適合していない場合、目的達成は不十分、困難又は不可能なものとなることは明らかである。
そうだとすると、学問研究の妥当性を期すためには、研究目的とそれを実現するための手段との間に実質的関連性がある必要がある(方法論通則序論で詳述)。
しかし、伝統的系譜学の学問目的が出自などの解明であるのに対し、歴史学の方法論は意義付与なのであり、しかも、歴史学・史料学においては系図譜の史料価値が低いとして否定的な扱いをしてきたのだから、目的と手段の間に実質的関連性は全く認められない(方法論通則及び学問定位論で詳述)。むしろ、系図系譜研究に通じる嫡出否認の訴えというシステムを備え、証拠論など事実認定に関する理論が言語化・精緻化されている法学を参考にすべきである。にもかかわらず、そうしようとせず、単に相当の過去の事実を扱い、また使用する証拠に共通するところが多いという抽象的符合を理由として、十分に言語化・精緻化されていない歴史学・史料学の方法論を使用してきたのは、伝統的系譜学界が長らく視野狭窄と思考停止に陥って、適合しない学問分野に傾倒してきたものといわざるを得ない。
(エ)史料関連概念の未発達(論証技術論関係)
歴史学・史料学の証拠に関する概念としては、「一次史料・二次史料」という信用力評価上の分類と、「傍証」という位置づけ、「史料批判=内的批判・外的批判」という信用力評価の観点についての史料関連概念があり、伝統的系譜学もこれを借用している。
しかし、推認構造に関する理論としては「傍証」の概念があるだけであって、訴訟法学の証拠論と比べて全く未発達である。証拠に関する理論が未発達なまま、まともな事実認定ができるはずがない。
方法論を言語化・形式知化してその妥当性を審査しうるようにしなければ、瑕疵を把握しにくく、方法論を精緻化することができない。その最たる例が推認構造、主張立証構造に関する理論と執筆技法の未発達にあるというべきである(方法論通則を参照)。
(オ)史料関連概念の系図譜への不適合(論証技術論関係)
系図譜については、歴史学・史料学では、これを「二次史料」として扱ってきたところ、伝統的系譜学者は、系図譜の作成過程と系図系譜研究の推認構造の実質には目を向けず、安易に史料の語を借用し(用語論参照)、「系図史料」などと呼ぶことが非常に多い。
その結果、伝統的系譜学において、系図譜の取り扱いについての合理的な議論が阻害されてきたものと認められる(方法論通則序論及び論証技術論を参照)。
(カ)記述に特化した思考様式と理論構築の不適合(用語論、方法論関係)
伝統的系譜学者や歴史学者は、目的論・対象論・用語論で検討するとおり、記述的思考の持ち主であって、物事がどう位置づけられてきたか、どのような傾向があるかという事実観察から得た心証をレトリック表現を多用しつつ記述する習慣が強固に定着し、抽象化して観念したものを言語化する訓練をしていないようである。
そのため、理論書すら執筆しようとする者が極めて少数である上、歴史学や史料学の概説書や方法論書を読む限り、理論書的な書籍を書こうとする者であっても、その内容も抽象化・一般化されている部分が少なく、実例解説や学史という記述的説明となることがほとんどのようであり、どうしても個々の事例にフォーカスし、抽象化・理論化が不十分になってしまうという思考様式の特性があるように推察される。
ウ 学問分野の体系性に関する認識上の弊害
(ア)学問分野の独自性・固有性の主張手段の欠如(学問定位論関係)
理論体系は、その学問分野がどういうものなのかを表す機能を有し(分野体系論を参照)、理論体系書が存在しないということは、学問分野の独自性を示す最も基本的な骨格が欠如していることを意味する。
例えば、法学では法学入門や各法の基本書が、経済学ではミクロ経済学やマクロ経済学の体系書が、それぞれの学問の固有の目的論・方法論・用語論その他の理論体系を記載しており、これによって他分野との異同が明確化され、独立性及び固有性を容易に把握できる。
これに対し、系図系譜研究の場合は、先祖調査ノウハウ本は多数出版されているほか、学史や系図譜の様式分類のような理論的な研究が多少ある。しかし、先祖調査ノウハウ本もあくまで証拠収集方法等を書いた程度のものであり、学史はあくまでどのような研究がなされてきたかを叙述したに過ぎず、様式分類はあくまで様式に限ったものであるのに対し、多くの伝統的系譜学論文が「〇〇の出自は△△氏か」という趣旨のテーマで書かれている以上、様式を分類するだけの学問分野であるということはできない。さらに、それら以外にも苗字や神社等を軸とした研究もなされているのである。そうすると、複数の下位分野を擁する学問分野であるにもかかわらず、伝統的系譜学には理論体系を把握できないために、その全体を把握することは容易ではない。
その結果、学問分野としての独自性・固有性を明確に主張する手段がないから、理論体系が判然としない歴史学と混同されることになる。
(イ)手つかずの領域の把握とマッピングの不全(分野体系論及び研究環境構築関係)
学問分野の理論体系が構築されていれば、どの下位分野でどのような研究がなされているか、あるいはどの下位分野の知見を利用すればいいか、下位分野相互の関連性はどうなっているか、あるいはどの分野が手つかずなのか、個々の研究がどの領域に位置づけられるかなどを把握するためのメタ研究も行われ、各種研究成果が分野ごとにマッピングされて把握しやすくなる。
しかし、伝統的系譜学においては、理論体系がないために、それらを把握しにくい。例えば、作成動機の議論、信憑性判別の方法論、不実記載の割合や世代間年数についての統計的研究、人文地理学や遺伝学など歴史学・史料学以外の学問分野との学際研究などがほとんど手つかずであることを学界全体として自覚しにくく、認識を共有しにくい。
多くの学問分野では、研究が発表される媒体が分散しているため、自力で調べるにしても、端緒となる学史があるのとないのとでは雲泥の差である。例えば、法学においては、判例集が法制度ごとに、あるいは有斐閣の『判例六法』が条文ごとに、それぞれに該当する判例の判旨をまとめて掲載している。
鈴木正信の研究もあるが、先行研究をまとめただけのものは、あくまで学史的整理に過ぎず、理論ないし理論体系に代わることはできない。
なお、伝統的系譜学を日本史の一領域とみなす者が少なくないこと(4ア(イ)①参照)は、イ(オ)で述べたとおり、現にどういう特徴が観察できるかでしか物事を捉えられない記述的思考の現れであるが、これはマッピング不全の問題でもある。すなわち、理論体系が構築されていれば、日本における伝統的系譜学論文はあくまで系図系譜研究内の一領域に過ぎないことを誰でも把握しえたはずである。
(ウ)固有の学問目的すら不明瞭(目的論関係)
すべての学問分野は、明示に又は黙示に、自覚的に又は無自覚にそれぞれの固有の学問目的を有し、それを達成するために用語論や方法論その他の理論体系を備えているはずである。逆にいうと、目的論が定まるからそれに適した用語論、方法論その他の理論体系が導出されていく。そのため、学問目的は絶対に不可欠かつ最重要の事項である。
伝統的系譜学については、目的論で詳述するとおり、「系図・系譜を究める」とか「系図・系譜の真偽」というような漠然とした学問目的を掲げる者や、「歴史学研究に資する」という固有性を放棄し他分野ありきのような学問目的を本気で掲げている者もいる。
したがって、伝統的系譜学には明確な固有の学問目的すらまともに定まっていない常況にある。
(エ)用語の不統一による意思疎通不全(用語論関係、対象論関係)
用語に統一性がないことは、ア(イ)で述べたとおりであり、そうであるからこそ研究者間での意思疎通が阻害されている。
(オ)審査方法・評価基準の不存在と外部の評価基準への依存・他律志向(方法論関係)
学問分野が自律・独立しているといえるためには、独自かつ統一的な研究の質の評価基準と研究の妥当性の審査方法が必要である。
ところが、伝統的系譜学には、そのようなものは存在しない。もちろん、大学に学科や専攻が置かれているわけではなく、制度的な評価の機会がないから、評価基準がなくても支障が自覚されることはなかった。しかし、それでも妥当性を認められたいのが人情であることから、伝統的系譜学者は、学問分野として社会的に認められている歴史学の評価基準に頼りたくなったものと推察される。
例えば、岸本良信は、実質的には先祖調査ノウハウの列挙に過ぎないものを「系図学研究」「系図学的調査手法」と称した上で、「アカデミックな歴史学者の史料批判にも十分耐えられる価値のある」ことを評価基準としている。これでは、妥当性を認められるかもしれないが、反面、最終的な妥当性の判定権を歴史学に委ねることとなり、歴史学の評価基準が変われば「系図学研究」の評価も変わってしまうのであるから、独立した学問としての自律性があるとは到底いえない。
このような他律的な態度を取るならば、歴史学の中の「系図研究」 とでもいうべきであって、独立した学問分野のように「系図学」と称するべきではない。実際、義江明子や溝口睦子は、歴史学者・史料学者として系図系譜研究をしたために、「系図学」とか「系譜学」ではなく、「系譜論」と称している。
佐々木哲や宝賀寿男は、一般的な歴史学者の態度を批判している点で岸本良信とは異なるものの、本来のまともな歴史学者には自分たちの研究のあり方が認められるはずだという論旨を展開している点で、結局は歴史学の本来的な評価基準を自分たちの研究が満たしているはずだと主張しているのであり、歴史学の評価基準に依存し、他律的であるといえる。
もっとも、岸本良信は、「系図学研究」のページ内で「歴史ロマンに満ちた感動が必要」「読み手に感動を与えるような家系図こそが、本当に価値のある家系図」といって 「感動」「ロマン」という主観的・情緒的な指標も評価基準としており、これ自体が岸本良信の提唱する「系図学研究」の独自の評価基準なのかもしれないが、これは客観的な評価を否定するものであり、学術的評価基準としては完全にありえない。
(カ)歴史学への権威主義的信奉
系図系譜研究者の多くはいわゆる在野研究者つまり先祖調査業者や自家先祖調査者などの趣味人であるところ、彼らの中には、大学に所属する研究者こそが正統派であり、在野研究者よりも研究の実力がある格上の存在であると信じている者もいるようである。
しかし、医療系や工学系の学会など、民間研究者が多く所属する学会もあり、対等に議論が行われている。なぜなら、大学以外でも研究をすることができるのであれば、大学に所属している研究者を格上とみなす理由はないのであり、もしそうみなすのであれば、それはそうみなす者が大学に対して権威を感じ、権威主義的価値観を有しているからにほかならない。そして、系図系譜研究は、特殊な研究設備などは基本的には不要であって、上記学会と同様であり、大学に所属している歴史学者より高度に研究することも可能である。
また、大学に専攻が置かれている学問分野の枠組みに合致しないために、大学外で研究や学問分野構築が進むことも少なくない。
そもそも大学に系図系譜研究の専攻自体が存在しないのだから、別の学問分野である歴史学や史料学の学者を自己の上位に位置づけるのは、カテゴリーエラーである。
そうすると、系図系譜研究より歴史学・史料学を上位とみなすことは、権威主義的信奉であるといわざるをえない。
エ 初心者の教育・学習における弊害
(ア)初心者教育・学習の手段の不在と模倣・我流
多くの学問分野の研究者にとっては、方法論その他の理論を踏まえた上で研究することは当然である。
ところが、伝統的系譜学は、大学に専攻が置かれていないし、発行されている書籍は先祖調査のノウハウ本(海外における証拠論書を含む)か伝統的系譜学者による研究書しかなく、プロパーな初心者教育・学習を実施することが不可能である。
そのため、伝統的系譜学者は、伝統的系譜学の学会誌に掲載された論文と、調査の際に入手した歴史学・史料学の論文や書籍を参考にしつつ、我流ないし出身分野の書き方で書くくらいしかない。伝統的系譜学の学会誌に掲載された論文も、結局は、歴史学・史料学の論文や書籍の影響を強く受けているから、伝統的系譜学の初心者の学習は実質的に歴史学・史料学に強く依存しているといえる。
(イ)依存先である歴史学・史料学の入門書・方法論書の問題
では、歴史学や史料学ではどうかといえば、それらの入門書は、理論的な説明が少なく、テーマ別の概説をするオムニバス形式だったり、あるいは入門書と銘打ちながら、それなりに学習が進展した者向けの長大な実例解説や研究事例の寄せ集めだったり、概論書がほとんど史学史的検討に終始したり、それなりの分量の理論的説明をしている書籍が1940年代以前のものであったり、学習者への教育的配慮に欠けるといわざるをえない。大学であれば、ゼミでの口頭指導もなされるとは思われるが、書籍で自習しにくい状況は、健全な学習環境とはいえない。
特に、実例解説は、必ず実際の場所や人物の名称が明記され、それぞれの固有の事情の下に事実認定をしてみせて参考に供するというものであるから、実例に固有の事情に認定が左右される部分が大きく、他の事例に同様の手法を適用できるのかの判断基準などを提示していないため、汎用性を欠く。
そもそも、歴史学と史料批判、史料学、古文書学、古記録学などとの関係についても解説しているものがない。
歴史学者の一部は、歴史研究は、特別な研究設備などが不要で、広く門戸が開かれていて、誰でもいつでも参入できるというが、そのような学習環境では、少なくとも他分野出身者にとっては、史料批判の方法はもちろん、史料批判と歴史学・史料学の関係を把握することすら困難である。
崩し字の読み方本を除いて、汎用性があり類書が豊富なものは見当たらない
(ウ)他の学問分野との比較
これらとは対照的に、例えば、法学では、研究書や入門書以外にも、基本書、演習書、判例集、逐条解説(コンメンタール)があり、入門書では基礎知識全般を、基本書では各法の短めの講学事例や判例を交えた体系的な理論的説明を、演習書では実例を元にした各法の設問と詳細な解説、判例集では各法の判例の事案と判決要旨と詳細な解説を、逐条解説では条文ごとの詳細な解説をそれぞれ掲載しており、学習の進展段階に合わせて役割分担がなされている。そして、法学の実例解説は、関係者あるいは不動産の呼称を全てA、B、Cや甲土地・乙建物・丙などに記号化し、必ず判断基準の射程など理論的説明を付しており、汎用性を高めている。
もっとも、法学においても、法解釈技法の詳細な理論的説明をしているものは少なく、各研究者が実例解説と多数の研究を読みあさって自力で帰納的に体得すること自体は確かに必要な訓練ではあり、基本的には基本書と判例と演習書を行き来して体得することになるから、歴史学と同様の側面はある。それでも、しっかりとした理論的説明が多数の書籍でされているのといないのとでは理解度と理解速度に歴然とした差が生じるのは経験則上明らかである。
(エ)方法論の我流化と形式知共有不全
そうすると、伝統的系譜学に参入しようとする初学者は、理論体系書ないし入門書を探しても見つからず、基本的には伝統的系譜学ないし歴史学・史料学の既存論文を模倣して書き方や用語などを感得しつつ、我流で研究・執筆することになる。特に推認構造や主張立証構造についての理論的説明は、歴史学・史料学の方法論書にも存在しないことから、模倣による感得又は経験則的推論によることとなる。
どの学問分野であっても、論文の書き方本を参考にして基本的な論文の書き方を身につけた後、既存の論文から分析手法を参考にすることもある。しかし、自己の研究に応用するために、既存論文を都度探索して分析手法を抽象化した上でカスタマイズしたり、あるいは一から考案することは、極めて効率が悪いし、我流の入り込む余地が極めて大きい。経験的知見が抽象化・一般化されて形式知として他の多くの研究者に共有されなければ、暗黙知が個人ごとに蓄積されるだけとなり、学界全体の研究の質を向上させることができない。
その結果として、伝統的系譜学や歴史学の論文は、学生のレポートの延長線上にあるような論文(というより散文)の書き方になっている。
(オ)小括
したがって、初心者教育・学習の観点からも、理論体系書の不存在には大きな弊害があるといえる。
オ 悪循環
上記各弊害は、抽象化思考の訓練不足と歴史学・史料学依存が理論体系構築を阻害し、その不在が持続し、他分野での勲等を受けてきた者の参入が阻害され、歴史学者・史料学者・歴史愛好家ばかりが集まり、歴史学・史料学への依存が強化され、系図系譜研究が歴史研究であるという誤解が強化され、歴史学・史料学への依存がさらに強化され、依存先の歴史学の理論体系も不十分であるために、理論体系の構築方法もわからず、意欲も湧かず、目的に対して不適合な手段が維持され、新参者がそれらの瑕疵を含めて模倣をするから、瑕疵ある研究が再生産されるという悪循環が慢性化しているものと考えられる。
(6)理論体系が存在することによって生じる効果
ア 問題の所在
ここまでの議論とは反対に、理論体系が存在した場合に生じることが期待される効果には何があるかが問題となる。
イ 理論体系の構築による悪循環の断絶
上記各弊害は、理論体系の不存在によって生じていると認められることから、理論体系を構築することにより、上記弊害を解消することができる。
ウ 標準的アプローチの提供
系図系譜研究は、そもそも多様な学問分野のアプローチを採用することが想定されてきたところ、個々の研究者が一からアプローチを構築するのはそこそこ大変であるのに対し、標準的なアプローチが理論体系において提示され、個々の研究者がそれをそのまま使用するなり、研究内容に応じてカスタマイズするなりすれば、研究者の負担が軽減され効率的である。標準的なアプローチが標準的チェックリスト的な役割を果たし、検討漏れを防ぐことも期待される。
もちろん、新たなアプローチを発案・採用することや、既存の方法論を追加・修正をすることも推奨される。
エ 理論研究による知見の創出と研究の深化
理論的研究は、伝統的系譜学においては、青山幹哉や義江明子、溝口睦子らの様式論程度であり、ほとんど充実しておらず、どのような情報や方法が必要か、どの領域の研究が足りていないかについてあまり積極的に議論されることはなかったようであるし、傾向として語られるものも、統計的研究に基づくものではなく、印象論の受け売り・鸚鵡返しのようなものであった。
例えば、従来は「系図系譜には虚偽記載が多い」という言説のみが普及しており、真偽判定は個別の個別研究で行われるのみであったが、本当に「系図系譜には虚偽記載が多い」かどうかは統計的研究がないため不明であって、印象論が一人歩きしているのではないかという疑いもある。
しかし、これを統計的に分析し、虚偽記載の特徴や動機などのパターンを明らかにする理論研究があれば、個々の系図系譜を研究する個別研究において、パターンと照合することにより、パターンに当てはまるものがあれば真偽判定しやすくなるし、それでも違和感を感じるのであれば、別の着眼点から詳細に分析することができるようになるし、その結果、新たな類型を発見することができたならば、理論研究も発展させることができる。
したがって、どのような情報や方法が必要か、どの領域の研究が足りていないかを念頭に置いて理論体系を構築すれば、研究が不足している領域について理論研究を行うことで、知見が創出され、知見に基づいて研究を効率化したり深化させる効果が期待される。
オ 議論の精緻化と妥当性審査可能性の確保
理論体系内に用語論を設けて重要な用語を整理・定義することにより、議論が精緻化される効果が期待できる。
それに加えて、最低限の論証構造や執筆方法を理論体系において整備し、基本的なフォーマットに沿って思考過程を明示させることにより、我流の散文的論考を抑制し、一応の論理性を確保することができ、以て系図系譜研究の質を向上させつつ、第三者による妥当性審査可能性を確保する効果に加えて、執筆者自身が自己の議論に論理の飛躍や根拠欠如がないかなどを自己点検しやすくする効果や、論理構造を想定しやすくなることにより読解もしやすくなる効果も期待される。
カ 学際化
(ア)他の学問分野の手法の活用に関する効果
系図系譜研究に用いる証拠については、残存状況に大きな制約があり、また、書証には必ずしも事実が記載されているとも限らないから、書証に過度に依存した従来型の分析手法には限界がある。しかし、遺伝子解析により書証の真偽を判別したり、あるいは遺伝子解析や人文地理学等の知見により、同族・姻族の居住地や墓地の場所などの所在地の範囲を統計的に把握できるようになる可能性が相当程度認められる。
そのような他の学問分野の手法や知見を用いるための方法を体系的に規格化することにより、これを効率的に多くの研究者が活用しやすくなるし、多くの家系についての情報が集積され、統計的な分析がなされれば、統計的知見としても研究に資することができる。系図系譜研究は、歴史学・史料学の方法に偏っていたが、これらに限る必然性はないのだから、個別研究の際に他の学問分野の研究成果を都度証拠として活用するだけという従来のあり方を超えて、多くの学問分野の方法論や知見を理論体系の多くの部分にデフォルトで組み入れれば、多角的な視点から研究ないし審査することができるようになり、研究の質も向上するものと考えられる。
(イ)他の学問分野の研究者の参入・共同研究に関する効果
また、医学や生物学などにおいても、系図系譜研究の成果とともにかなり昔に遡るデータを得られれば、遺伝疾患の研究の精度を高められる。すなわち、医学や遺伝系図学、情報学、数理工学といった理系の学問領域でも系図譜を用いる研究をしているということは、本来は裾野の広い非常に多彩な学際的学問であり、大きなポテンシャルを秘めた学問だといえる。
他の学問分野の研究者が系図系譜研究についてどのような学問であるかを把握しうるような理論体系書があれば、他の学問分野との共同研究や他分野研究者による系図系譜研究を促進することが期待できる。
(7)結論
よって、系図系譜研究は、理論体系が存在せず、歴史学・史料学に依存してきたために、その独立性が脅かされてきたものであり、明確に独立した学問分野としての立場を確立するためには、各種の弊害が解消され、かつ、系図系譜研究の科学的水準を大幅に向上させることが期待されるから、理論体系を構築することが必要かつ有効であると認められる。
なお、これらの弊害を解決するに当たっては、歴史学・史料学への過度な依存を止めて自立する必要がある。他方で、伝統的系譜学を再編しようとしても、既存研究及び従前の在り方を採用し続ける研究と、再編後の自立した在り方による研究とは、明白には見分けが付かない。そこで、伝統的系譜学とは別に系図系譜学として新たに独自の理論体系を確立することにより、名実ともに独立した学問分野として自立すべきである。
2 系図系譜学の最高規範
(1)大問題の所在
以上の問題点を踏まえて、系図・系譜を対象とする学問分野は、どのようにあるべきか、もっといえば、どのような原理に基づいて体系が構築されるべきかが問題となる。
(2)系図系譜学の構築方針
理論を欠く学問の在り方は、場当たり的な研究スタイルであるといわざるをえず、その妥当性や他の研究との整合性を審査することができず、科学的ではない。しかし、1(3)で述べたとおり、伝統的系譜学者による概説書ないし理論書は、いずれも証拠の収集と提示の方法論つまり手段の提示にとどまるか、目的も提示しているとしても手段との関連性が不明瞭である。しかし、目的のない手段や目的との関連性の不明瞭な手段には意味がないし、手段以外にも学問分野を構成する領域は多い。
手段以外も含めて必要そうな領域をカバーして学問分野の全体像を構築するにしても、単に個別の知見・アプローチをつまみ食い的に導入するだけで上手く稼働するというものではない。特に先祖調査のノウハウを踏まえつつ、法学、政治学、遺伝系図学、言語学、人文地理学、歴史人口学、情報学といった多くの学際的視点から学際的学問分野として系図系譜学を構築しようとする場合、強く意識しなければ上手く協働せず、単なる知見・アプローチの寄せ集めになりかねない。
そもそも学問は論理的であるべきという大原則を徹底するのであれば、理論体系には一貫性が要求されているというべきである。そうすると、単にノウハウをマニュアル化したり関係がありそうな知見・アプローチを収集するだけでは足りず、目的論から演繹的に手段を含む理論全体を構築しなければならない。
他面において、学問分野も、複数の研究者によって学界が構成されるものである以上、一般の社会と同様、ルールに基づいて学術的営為が行われることは明らかである。そして、そのルールは、理論体系が明示されていないことの弊害は1で指摘したとおりであるから、黙示のルールすなわち慣習法ではなく、できうる限り成文法的に定められることが望ましい。すなわち、成文法もあるにはあるが個々の判例の積み重ねでルールの大部分を形成していく判例法主義・判例法国タイプの場合は、個々の理論研究のパッチワークになりがちであり、暗黙知主義に陥ることになるから、そうではなく、成文法を基本として判例で補完する成文法主義・大陸法国タイプであるべきである。特に、事実認定が方法論の中核となる学問分野の場合は、人の生命や自由権、財産権をかけて事実認定において真剣勝負が長年にわたって繰り返されてきた訴訟のルールないし訴訟実務の知見を活用しうると考えられる。
さらに、主権国家が、最高法規たる憲法において国家の基本原則や統治機構を定めることにより、他国の法秩序に服することなく自律した主権国家として確立するのと同様に、系図系譜学も、そのような憲法に相当するものを策定することにより、歴史学・史料学その他の外部の学問分野に左右されず、自律した独立の学問分野として確立しうると考える。
そこで、系図系譜学では、実質的意味での憲法に相当する規範を定め、国法の体系を模した理論体系を構築することとした。
(3)系図系譜学の最高規範
ア 問題の所在
国法の体系を模した理論体系を構築するに当たって、どのような最高規範を定めるべきか、すなわちどのような原理原則に基づくべきかが問題となる。
イ 学問分野ないし調査研究実務における根本規範
学問分野ないし学術研究活動には、各国の著作権法や分野別の研究者倫理、学会ごとの投稿規程といったものを除き、成文法は存在しないようであるが、何らの基本的ルールもないまま研究活動が行われているとは考えがたい。
系図系譜学では実質的意味での憲法に相当する規範を定め、国法の体系を模した理論体系を構築することとしたものであるところ、憲法は形式的には最高法規であるが、憲法自体を遵守させるためのさらなる上位規範も必要であり、それをHans Kelsenは「根本規範」と呼んだ。学問分野ないし調査研究実務においても、客観的論証に基づく真理・事実の解明という成果物を生成する営為であることが一般に期待される以上、何らの基本的ルールもないまま研究活動が行われているとは考えがたいため、国法秩序における根本規範と同様に、それらすべてに共通する根本的な規範が存在するものと考えられる。そして、そのような期待自体が根本規範に当たると解される。
すなわち、およそすべての学問分野ないし調査研究実務は、本来的には、事実又は真理の解明を目的とし、客観的合理性に基づいて論証することを根本規範としているというべきである(学問分野ないし調査研究実務における根本規範)。
ウ 学術的事実
(ア)問題の所在
学問分野ないし調査研究実務において解明の対象となる事実のうち、系図系譜学における事実とは何かが問題となる。
(イ)分析方法
思うに、学問分野ないし調査研究実務において解明の対象とされる事実は、必ずしもすべての学問分野ないし学術研究活動において同じ性質を有するとは限らない。そこで、この点について、事実解明を目的とする学問分野ないし調査研究実務の例として、自然科学及び法学(訴訟実務)が挙げられるところ、これらにおける各事実の性質を比較した上で、系図系譜学における事実の性質を確定することとする。
(ウ)事実の性質分析
自然科学は、基本的には、反復性や再現可能性のある事象を学問対象とするものであり、同じ方法で実験をすれば誰がやっても同じ結論に至るという再現性によって科学的妥当性が担保され、事実・真理・法則を確定することができる。
他方、非自然科学的学問分野の場合、自然科学的な証明方法を採用することもあるが、基本的には、一回性の事象を学問対象とし、書証の分析など自然科学的でない証明方法を中心的に用いなければならないことがほとんどであるから、その科学的妥当性は自然科学とは異なる。
系図系譜学の研究は、DNA鑑定等の自然科学的方法を用いることができるものの、それだけで完結するものではなく、系図譜や書証が分析の中心となる。しかし、昔に遡るほど乏しくなる研究資料の残存状況の制約があるため非常に困難である以上、自然科学的な意味で科学的妥当性を担保することは期待できない。
したがって、系図系譜学にいう科学的妥当性は、自然科学的な意味ではなく、非自然科学的学問分野な意味での妥当性というべきである。
(エ)手続的正義の採用
非自然科学的学問分野における科学的妥当性を担保するにはどうすればよいかが問題となるところ、これを自然科学とは異なるアプローチによって担保している学問分野ないし実務として法学(訴訟実務)が挙げられる。例えば日本法では、適正手続(日本国憲法31条、行政手続法1条)と公開裁判(憲法82条)が原則とされ、どのような審理が行われ、どのような理由で結論に至ったかを明示することが行政機関や裁判所に求められ、被処分者や訴訟当事者、裁判官や引いては法学者が審理の過程や理由付けの当否を審査することができる。このような妥当性の担保の在り方を手続的正義(Procedural Justice)といい、検討過程が開示されることにより審査が可能となり、その審査を経て検討過程が適正と認められる場合には結論を妥当と考え、逆に検討過程に不当な部分があると認められる場合には結論も不当と判定されるというものである。
これに対置される概念は、実体的正義(Substantive justice)であって、結論の内容自体の正当性・妥当性によって判断するというものである。
系図系譜学の研究は、(ウ)で述べたとおり、自然科学的な証明も採り入れられうるものの、証拠の残存状況に大きな制約があり、かつ書証が中心となる一回性の事象を対象とするという点で、訴訟実務における事実認定と共通する。そのため、系図系譜学における事実認定も、手続的正義を応用することにより、法学(訴訟実務)と同様に、執筆者の主張立証などの検討過程が開示されることにより審査が可能となり、その審査を経て検討過程が適正と認められる場合には結論を妥当と考え、逆に検討過程に不当な部分があると認められる場合には結論も不当と判定されることによって科学的妥当性を担保しうるというべきである。すなわち、他の研究者一般に対し、研究の内容を明らかにするとともに、これに対して反論するかどうかを考慮させるため、いかなる問題意識の下に、いかなる証拠に基づき、いかなる事実を認定し、いかなる理由によって、結論したのかを明らかにさせ、読者が執筆者の判断及び論理的整合性や証拠の有無、証拠の解釈などの検討過程の妥当性を審査しうるようにするべきである。そして、異論がある者は、どこに異論があるかについて主張立証し、さらにそれに対して異論があるならば、その主張立証をしていくことで、より妥当な結論、すなわち事実が明らかになりうる。
そして、そのような妥当性が認められる事実を系図系譜学における事実とするべきである。
(オ)結論
よって、系図系譜学における事実とは、学術研究において手続的正義に基づいて認定された事実(学術的事実)をいうものとする。
| 手続的正義 | 検討過程が開示されることにより審査が可能となり、その審査を経て検討過程が適正と認められる場合には結論を妥当と考え、逆に検討過程に不当な部分があると認められる場合には結論も不当と判定される |
| 学術的事実 | 学術研究において手続的正義に基づいて認定された事実 |
エ 諸原則
(ア)序
自然法的基本原理や学術的事実を策定しただけでは具体性が不足することから、これらを実現するためにどのような具体的な原則を採用すべきかが問題となるところ、系図系譜学は、研究者は常に誤りうるという前提に立ち、学問目的を達成するための手段方法その他の理論体系を合理的に構築し、学術的事実を追求しうるような原則によって規律されるべきである。
(イ)審査可能性原則
ウ(エ)で採用した手続的正義を具体化し、検討過程の省略や証拠の不十分な開示、無批判な引用などを避け、研究の妥当性と審査可能性を担保するため、系図系譜学では、下記の各原則を採用するものとし、審査可能性原則(Review Principles)と総称するものとする。そして、それを実現するプロセスを適正手続(Due Process)という。
まず、証拠に基づき、合理的に論証することが自然法的基本原理による要請であるといえるから、下記の論理主義及び証拠主義が導出される。
論理主義(Logicality Principle)とは、人文学的修辞や情緒的・文芸的表現を用いたり、読者の積極的善解に頼ったりすることを明示的に否定し、学術研究は論理的説得力に基づいて議論しなければならないという原則である。
証拠主義(Evidence-based Principle)とは、事実認定において、証拠から合理的に導かれる解釈を採用するという原則であり、要するに証拠に基づいて事実認定をするというものである。証拠の解釈において、特定の史観・イデオロギーに基づく恣意的解釈を避けなければならないという趣旨である。
証拠主義に類似する原理として、Leopold von Rankeが提唱し、伝統的系譜学やそれが強く依拠する歴史学・史料主義において長年採用されてきた実証主義がある。しかし、実証主義とは、あくまで、執筆者の証拠の分析過程において、つまり分析作業中に執筆者がどう認識すべきかのみを規定した認識論に過ぎない。言い換えると、本来は、認識した後で、証拠に基づく認識から形成した心証を論文上で主張立証していくべきであるのに、そのような心証を執筆者がどのように論文として提示すべきか、さらには読者がそれに対してどう応じるべきかということについては、実証主義は、実は何も言っていない。だからこそ、歴史学系の論文では、しばしば冒頭の「はじめに」や「序論」で、「〇〇を考察する。」とか「過程/歴史的意味を明らかにしたい。」というような漠然かつ曖昧な研究方針とも問題意識とも判断しにくいものが宣言され、「おわりに」で証拠から認識した内容を述べるだけの構成になっており、主張に対する証拠とそれに関する検討過程が必ずしも逐一明示されず、詳細が明かされるのはせいぜい執筆者が重要と判断したものに留まる。その結果として、第三者すなわち読者による審査を徹底することができず、誤った主張が無批判に継承されるリスクの高い学術文化が生じる。
そこで、そのような学術文化を許容せず、手続的正義を具体化するための原則がさらに必要となる。それが、挙証主義・明示主義・審査主義である。
挙証主義(Burden of proof principle)とは、学術研究において、ある事実や解釈を主張する者は、その根拠となる証拠を提示しなければならないという原則である。言い換えると、「証拠から何を推認できるか」を問うのが実証主義であるとすると、挙証主義とは、さらにそれを超えて「推認したものを証拠とともにどう提示・立証するか」を問うものであり、前者が分析作業であるのに対し、後者は分析作業を前提としつつも立証作業を重視する立場である。法学の立証責任概念を学術研究一般に拡張した。ただし、証拠を欠くが相当性のある仮説について、推測である旨明示して提示することは禁じられない。
明示主義(Explicit presentation principle)とは、学術論文において、論理構造や考慮要素、判断基準、心証形成を含む検討過程のみならず証拠や参考資料の詳細をも明示することで、透明性が確保され、以て第三者による審査可能性を確保しなければならず、明示されなかった事柄については、執筆者は調査も検討もしなかったものとみなされるという原則である。執筆者が検討過程を明示しないということは、これを審査する読者としては、「執筆者がよく検討せずにその史料や先行研究を採用した」「出所不明の情報を記載した」と判断せざるを得ないからである。法学の主張責任概念を学術研究一般に拡張した。なお、ここにいう検討過程とは、執筆者の現実の想起・思考検討の順序そのものではなく、論理的に論旨と関係する範囲に限って、論理的な順序・階層に整理し直したものを指す。そうでなければ、読者としては行きつ戻りつする執筆者の思考を解読するという無用な煩雑な作業を強いられることになるし、学術論文は論理的に執筆されるべきという学術研究の一般原則に反するからである。そして、明示主義を担保するため、執筆者に検討過程について明示する義務(理由付記義務)を課すものとする。
審査主義(Scrutiny Principle)とは、執筆者は先行研究の妥当性をできる限り証拠に遡って審査した上で執筆し、読者も閲読した研究の妥当性をできる限り証拠に遡って審査すべきであるという要請である。読者による審査を要請しない実証主義により、執筆者間の「自分たちは実証主義で書いているから妥当である」という相互保証によって検討過程や出典の不開示が許容される文化が生じる。そのため、執筆者が証拠に基づいて認識するだけでは足らず、読者も主体的に審査する必要がある。
なお、実証主義の語は、証拠主義と一部重なるが、歴史学用語として強固に定着していて紛らわしいため、系図系譜学では採用しないこととした。
審査可能性原則
| 原理 | 内容 |
| 論理主義 | 人文学的修辞や情緒的・文芸的表現を用いたり、読者の積極的善解に頼ったりすることを明示的に否定し、学術研究は論理的説得力に基づいて議論しなければならない |
| 証拠主義 | 事実認定において、証拠から合理的に導かれる解釈を採用する |
| 挙証主義 | 学術研究において、ある事実や解釈を主張する者は、その根拠となる証拠を提示しなければならない |
| 明示主義 | 学術論文において、論理構造や考慮要素、判断基準、心証形成を含む検討過程のみならず証拠や参考資料の詳細をも明示することで、透明性が確保され、以て第三者による審査可能性を確保しなければならず、明示されなかった事柄については、執筆者は調査も検討もしなかったものとみなされる |
| 理由付記義務 | 明示主義を担保するために執筆者に検討過程について明示する義務 |
| 審査主義 | 執筆者は先行研究の妥当性をできる限り証拠に遡って審査した上で執筆し、読者も閲読した研究の妥当性をできる限り証拠に遡って審査すべきである |
(ウ)精緻化原則
用語・論述表現の曖昧さや場当たり的な議論を排除し、事実と評価・証拠と推論を峻別し、論理を基準としないセクション分け・段落分けを防止し、もって議論の論理性を担保し議論の精緻化を実現するため、系図系譜学では、下記の各原則を採用するものとし、精緻化原則(Refinement Principles)と総称するものとする。ただし、同原則は、過剰、無用又は有害無益な細分化や峻別までを推奨するものではない。
厳密主義(Strictness Principle)とは、用語の定義、論証、事実認定の当てはめ、論述の表現において厳密性を追求しなければならないという原則である。
一義明確主義(Unambiguity Principle)とは、論考に用いる語及び語の組み合わせは、定義された学術用語及び批判・分析のための引用部分を除き、通常の言語能力を有する一般人が一義的に理解しうる平易かつ正確な語及び語の組み合わせを選択すべきであり、用語論において定義された専門用語については、その定義に従って使用し、それ以外については、通常の語義として定着した意味で使用しなければならないという原則である。したがって、定義もないまま修辞的効果を生じさせる表現、にわかには理解・観念することが困難な若しくは複数の解釈が成立するような語彙の組み合わせによる表現、異化効果を生じさせる表現、奇異な表記、文学的・情緒的・叙情的表現、いわゆる現代思想系の学問ないし非実学的な学問にありがちな抽象概念を物理的・空間的メタファーなどで比喩するような表現、学術的権威性を装った修辞表現、一義性を欠くレトリックなどを使用することは許容されない。詳細は用語論及び執筆技術論に定める。
峻別主義(Distinction Principle)とは、類似概念の区別、事実と評価の峻別、証拠と推論の峻別、主観と客観、形式と実質の区別など、対象の異なる性質・要素・側面を明確に区分しなければならないという原則である。
厳密主義が個々の事柄における厳密性の追究を求めるものであるのに対し、峻別主義は、複数の事柄の相互関係ないし単一の事柄に内包される複数の要素の相互関係を明確に区分すべきという趣旨である点で異なる。
階層的論述主義(Hierarchical Structuring Principle)とは、論証構造とセクション構成を階層的に整理し、論理の各ステップを省略せず、番号・記号によって論理の階層・従属関係を表示し、段落分け・記載順も論理的な意味ないしステップを基準にして、従属関係・分岐点を明示しなければならないという原則である。執筆技術論で詳述する。
精緻化原則
| 原理 | 内容 |
| 厳密主義 | 用語の定義、論証、事実認定の当てはめ、論述の表現において厳密性を追求しなければならない |
| 一義明確主義 | 論考に用いる語及び語の組み合わせは、定義された学術用語及び批判・分析のための引用部分を除き、通常の言語能力を有する一般人が一義的に理解しうる平易かつ正確な語及び語の組み合わせを選択すべきであり、用語論において定義された専門用語については、その定義に従って使用し、それ以外については、通常の語義として定着した意味で使用しなければならない |
| 峻別主義 | 類似概念の区別、事実と評価の峻別、証拠と推論の峻別、主観と客観、形式と実質の区別など、対象の異なる性質・要素・側面を明確に区分しなければならない |
| 階層的論述主義 | 論証構造とセクション構成を階層的に整理し、論理の各ステップを省略せず、番号・記号によって論理の階層・従属関係を表示し、段落分け・記載順も論理的な意味ないしステップを基準にして、従属関係・分岐点を明示しなければならない |
(エ)反権威主義
先行研究を無批判に引用して誤謬の連鎖が生じることを防止するため、系図系譜学では、反権威主義を採用するものとする。すなわち、反権威主義(Anti-Authoritarianism Principle)とは、有力な学者・研究者や郷土史などの先行研究を鵜呑みにしてはならず、権威者に対して忖度もしてはならないという原則である。
先行研究の著者に対して心理的にリスペクトすること自体は問題ないが、これと先行研究に対する学術上のリスペクト(研究の妥当性の承認)とを混同し、後者を実質的に強要する文化(権威主義)が形成されることは、先行研究を無批判に引用して誤謬の連鎖を生じる直接的な原因となる。学術研究の究極の目的は事実解明である以上、先行研究の著者に対するリスペクトによってそれが阻害されることは本末転倒であるから、これを厳に禁止する高度の必要性がある。そして、どんなに実績のある研究者によるものであっても、その先行研究を不当であると思料するなら、論理的かつ徹底的に論証して不当性を明らかにすべきであり、かつ、そうすることを学界を挙げて奨励するべきであって、そうして学術研究を前進させた者は高評価されるべきであり、不当性を明らかにされた研究者は再反論を主張立証すべきである。
反権威主義
| 原理 | 内容 |
| 反権威主義 | 先行研究を鵜呑みにしてはならず、権威者に対して忖度もしてはならない |
(オ)平等主義
先行研究、研究活動、業績評価、学問対象、研究テーマなどについての公平な取り扱いを保障するため、系図系譜学では、平等主義を採用するものとする。すなわち、平等主義(Equality Principle)とは、研究活動及び業績評価において、特定のテーマを優遇してはならず、また、研究者の属性や研究活動の時期・形式を理由として遠い過去や在野の調査研究の成果を非研究扱いしてはならないという原則である。
平等主義
| 原理 | 内容 |
| 平等主義 | 研究活動及び業績評価において、特定のテーマを優遇してはならず、研究者の属性や研究活動の時期・形式を理由として遠い過去や在野の調査研究の成果を非研究扱いしてはならない |
(カ)理論体系構築・発展原則
理論体系の構築及び発展に関して、構築方針を具体化し、また一応構築された後も学問分野を発展させるために理論を継続的に付加更新していく必要があることから、系図系譜学では、下記の各原則を採用するものとし、理論体系構築・発展原則(Theoretical System Construction and Development Principles)と総称するものとする。
学際的統合主義(Interdisciplinary Integration Principle)とは、各学問分野の方法及び知見を借用・応用して学際的に統合することによって、より高度な理論を構築するという原則である。これは、個別の研究において他分野の成果を単発的に利用するだけではなく、下位分野の構築・研究にとって有用な他分野の方法論があれば積極的に借用・応用するという適材適所の考え方である。複数の下位分野の構築・研究にとって有用な他分野の方法論については、モジュールのように各下位分野にインポートするという形もありうる。ただし、性質上、借用・応用することが適切でないものについてまで統合すべきではない。
演繹・帰納交互構築主義(Deductive-Inductive Iterative Construction Principle)とは、先行研究及び実務の実態を帰納的に分析しつつ理論的に合理的な手段方法及び下位分野体系を演繹的に構築し、構築後も実務での運用経験及び後続研究の知見を帰納的にフィードバックして理論を更新・精緻化するという原則である。机上の空論に陥ることなく学問目的を達成するため、演繹と帰納の交互作用によって理論体系を継続的に発展させることを目的とする。
構築過程開示主義(Construction Process Disclosure Principle)とは、理論体系の構築過程を開示しなければならないという原則である。
学問分野が科学的であるためには理論体系自体の妥当性審査可能性を確保すべきであるところ、ほとんどの学問分野では理論体系全体の連関関係や構築論理を解説すること自体があまり多くないようである。しかし、理論体系の瑕疵を発見して改善更新をしようとする際に、なぜその定義を採用したのか、なぜその方式を選択したのかなどの選択の論理・根拠が示されていれば、検討不足な点の有無を審査することや改善の余地がどこにあるかを把握することができる。これとは逆に、構築過程が公開されておらず、単に理論の結論部分が羅列されているだけであると、構築理由などを一つ一つ推測する必要があり、改善更新作業が極めて非効率となる。
これを例えるなら、立法過程における各省庁官僚・法制局員の法案作成作業ないし審議会や国会の議事録のようなものであり、いわゆる立法事実を明示するようなものである。
理論発展主義(Theory Development Principle)は、学界を挙げて系図系譜学の理論体系を発展させ、理論研究も学術的評価の対象としなければならないという原則である。歴史学では理論研究は学術的評価の対象とならないために、気が向いた者が時々概説書を書いている程度にとどまっており 、それが1で述べたとおり多くの問題を生じさせたことは明らかであるから、これを防ぐ趣旨である。
理論体系構築のための原理
| 原理 | 内容 |
| 学際的統合 | 各学問分野の方法及び知見を借用・応用して学際的に統合することによって、より高度な理論を構築する |
| 演繹・帰納交互構築主義 | 先行研究及び実務の実態を帰納的に分析しつつ理論的に合理的な手段方法及び下位分野体系を演繹的に構築し、構築後も実務での運用経験及び後続研究の知見を帰納的にフィードバックして理論を更新・精緻化する |
| 構築過程開示主義 | 理論体系の構築過程を開示しなければならない |
| 理論研究の奨励 | 学界を挙げて理論体系を発展させ、理論研究も学術的評価の対象としなければならない |
(4)系図系譜学の分野体系の構築及び配列
ア 分野体系の構築方法
憲法典が一般に、基本的な原理原則のほか、国家元首(君主・大統領)、執政府(大統領・首相・国務大臣)、立法府(国会・国会議員)、裁判所(司法裁判所・憲法裁判所・裁判官)、監査機関(会計検査・観察)といった基本的な統治機構を定めることにより国家機関相互の基本的な連関関係を明らかにしながら、国家機関の詳細な部局構成等については法令に委ねている。これと同様に、学問分野においても、各下位分野における詳細な構成はともかく、下位分野の基本的な体系とその連関関係を定める必要がある。下位分野の体系が定められなければ、下位分野の単なる羅列になってしまうためである。
また、下位分野は、学問目的を実現するために存在するというべきであり、学問目的には学問対象が内包されているから、学問対象を決定しなければ学問目的も決まらないという関係にある。その意味で、目的論と対象論は密接な関連性を有するが、概念上は別物であって、それぞれ相当の範囲ないし深度の論点を議論しうるものであるから、統合せずに別の分野として取り扱うべきである。
そして、下位分野の基本的な体系とその連関関係にせよ、学問目的にせよ、相当程度の議論を経て定める必要がある。
そこで、系図系譜学は、最高規範において原理原則を定めつつ、(2)及び(3)に基づき、目的論及び対象論において学問対象及び学問目的を決定した上で、学問目的を実現するための用語論及び方法論その他の下位分野の基本的な体系とその連関関係を分野体系論において決定することとする。
イ 配列原理
(ア)問題の所在
下位分野はそれぞれ相互に連関するものではあるが、理論体系書の執筆に当たっては、どうしても記載に順序を付けなければならないため、どのような順序で記載すべきかが問題となる。
(イ)配列原理の種類
理論体系書の配列原理としては、一般的に、以下のものが考えられる。
演繹的配列とは、論理的抽象度の高低を軸として、一般論・抽象論を先置きし、個別具体論をその後に置く配列原理である。共通規定を総則として冒頭に集約するパンデクテン方式がその典型例である。
帰納的配列とは、個別的・具体的な事例や知見から出発して一般的・抽象的な原理・総論を後に導く配列原理である。
機能・分野別配列とは、論じる対象を機能またはテーマによって分類し、各分類を並置する配列原理である。人・物・訴訟行為の3分類によるインスティトゥティオネス方式がその典型例である。
時系列配列とは、過去から現在への時間軸に沿って叙述する配列原理である。
手続進行順配列とは、研究・調査・分析の実施プロセスの進行順の配列原理である。
階層的配列とは、規模・スケールの大小を軸として、全体から部分へ、大分類から小分類へと段階的に細分化する配列原理である。
重要度順配列とは、重要度・基礎性の高い事項を先置きし、周辺的・派生的な事項をその後に置く配列原理である。
(ウ)検討
理論体系書の配列原理は、理論体系の特徴に適した配列原理を採用するべきである。なお、上記各原理は相互に排他的ではない理論体系書の配列原理は1種類に限定する必要はない。
系図系譜学の特徴は、①法体系に準じて理論体系が構築されること、②目的論・対象論・用語論・方法論その他多くの下位分野によって構成されることが予定され、多数の各論とそれに共通する総論を持つこと、③実践的な研究のプロセスが時系列的であること(証拠収集→分析→理論化)、の3点が挙げられる。
これら3つの特徴を鑑みると、法学界の基本的な考え方であるパンデクテン方式と手続進行順配列方式を採用することが考えられる。パンデクテン方式は、全体に共通するものを先に定め、後に個別ルールを定める方式であり、また、手続進行順配列方式は、共通するもの以外(特に民訴法・刑訴法などの手続)について手続進行順に定めるものであり、日本の法令の多くは、パンデクテン方式を基本とし、その中で同レベルのものについては手続進行順配列方式で定められている。例えば、法令における定義規定の位置については、総則に置く場合は、法令において重要な意義を有する用語や頻繁に用いられる用語が定められ、法令全体にわたって適用される。
系図系譜学の理論体系は、全体的に法体系に準じて構築するという方針を採用し、特にその方法論は、刑訴法の「捜査→公訴→審理→判決」や政治過程論での「アジェンダ設定→立案→実施→評価」と同型の手続順によって進行するものであるから、法体系に準じて理論体系が構築される学問分野の理論体系書の配列原理としては、これが最も適合的であるといえる。
(エ)結論
よって、系図系譜学の下位分野の配列原理は、パンデクテン方式と手続進行順配列方式を併用すべきである。
(5)系図系譜学における憲法典
系図系譜学における最高規範はどのように位置づけられるべきか、憲法典に相当するものとして位置づけられるかが問題となる。
通常の憲法論において、イギリスが不文憲法国であって複数の憲法的法律や判例、慣習等の総体が実質的意味の憲法と位置づけられており、また、成文憲法国においても、例えば、フランスでは、1958年の第五共和国憲法典単体ではなく、その前文で言及されている1789年の人権宣言、1946年の第四共和国憲法前文、および2004年に前文で言及された環境憲章が、憲法院の判例によって憲法典と同等の規範力を持つものとして認められている。すなわち、成文憲法国でありながら、第五共和国憲法だけで憲法が構成されているわけではなく、複数の宣言等の総体が実質的意味の憲法を構成している。そのため、憲法典は必ずしも単体でなければならないものではない。
そして、憲法とは、実質的には、国家の統治の基本を定めた最高法規であって、基本原理や統治機構などの規律を含むものと解されるところ、学問分野においては、基本的な原理原則及び分野体系を定める根本的な規律がこれに相当するものとして観念しうる。
そこで、系図系譜学における最高規範は、系図系譜学の理論体系全体を統制する根本的な規律であって、目的論、対象論及び分野体系論とともに系図系譜学における憲法典を構成し、これらが系図系譜学における憲法典の基本的な原理原則及び統治機構に相当するものとして位置づけられるべきである。

